キッカケは腰痛
朝、普段通り過ごしていたら夫が「椅子に腰かけようとしたら腰痛になってしまった」と。
ただの腰痛だと湿布を適当に貼ったものの
「脂汗が出る」
「気持ち悪い」と寝室で横になるが、どう姿勢をかえても辛い。
(この時点で腹部で出血)
そのうち嘔吐と共に寝室に呼び出された。
顔面蒼白。
血圧を測ると低すぎる。
私:「どこか出血(既に腹部出血)してなきゃいいけど、救急車呼ぶよ」
夫:「いや、大丈夫」
この問答繰り返し、本人が普段と違うのを察し(遅いぐらい)119。
1回目の救急搬送
救急車到着までに、保険証(マイナカード)等、病院で提出するものを用意。帰宅が遅くなっても良いように、飼い猫のごはんを多めに準備。
担架では裸足なので靴持参。
救急隊もどういう状況なのか判断つかないので自宅から近い中規模病院へ(20分)。
到着後、検査。医師に呼ばれたのは30分後。
医師:「腹部大動脈瘤破裂だが、まだ助かる余地がある。ここでは設備不足で処置できないので今から、大規模病院へ行きます」
医師同乗で大規模病院へ救急搬送。
2回目の救急搬送
この間、夫の意識はハッキリしていて「何処走っているのか?」聞いてくるぐらい余裕かましてましたが、搬送中は、腹痛(出血で内臓を圧迫)に嘔吐。
道路事情が良くないのか救急車の乗り心地の悪さもあって、私も車酔いしそうなので外を眺める。
搬送中も走行中の車が避けたり、道を開けてくれるのを見て感謝しかなかったです。
大規模病院にて緊急手術
救急車到着と同時に病院職員へ窓口へ連れていかれたのち、受付を済ませて次は医師から大量の書面を説明しながら署名するように促される。
同意しないと先に進まない。
イメージ的には「なんでもええから はよ、書いて!」そんな感じ。
医師:「今から手術しますから、こちらへ」
意識のハッキリしている夫の傍へ連れて行かれ
看護師:「お話があれば、この間にどうぞ。これから手術室行きますので」
「頑張ってね~」ぐらいしか言葉がでない。
その間にも医師からは状況説明。
「状況、わかってますよね。〇んでもおかしくない状況なので」。
手術 (所要時間5時間)
看護師「ご家族さんは、待合室でお待ちください」と放置。
焦って署名した大量の同意書に目を通す。

救命率10%
事の重大さに今頃気付く。
夫の強運に賭けるしかないなぁ…。
助かる前提なのか、事務方や看護師から入院に関する説明があり、事の重大さも少しは和らぎました。
それはそうと「病院に着の身着のままきたけど、帰りどうしようかなぁ~」。
田舎の公共交通機関の不便さを嘆く。
知人に事情を説明すると、送迎に名乗り出てくださった。
術後と回復
術後、医師からの説明で自然薯みたいな血管の映像から今回の動脈瘤破裂の説明。
瘤の大きさが異常値だったので「今までなにやってたんですか?」というノリでした。
例えるなら風船がパンパンに膨らみ、いつ割れてもおかしくなかった状況。
前兆みたいなものがあれば良いのですが、それも無し。
術後、管だらけの夫を見て帰宅。
術後1日目
意識が戻り管が取れたものの、ぼんやり。
術後2日目
術後初めて面会
以後、事情を知ったご近所さんが病院への送迎をしてくれました。
話はできるものの、辻褄が合っていない感じ。
夜、せん妄を発症。
術後3日目
病院経由で夫と電話で話にならない話をする(会話不成立)。
看護師から前日(術後2日目)、せん妄発症したと聞く。
普段から温厚な夫だが、激しかったらしい。
「面倒臭かったら一発殴ってください」とでも言おうかなと心底。
術後4日目
面会。
自力歩行でトイレへ行くまでに回復。会話も普通にできている状態。
病室にテレビはあるものの、見たい番組が無いので、ipad等持参。
看護師から無線LANを繋いでもらい、夫、大満足。
担当医からの話で、順調にいけば一般病棟へ移動できるそう。
術後5日目
2026年2月18日追記。
昨日、一般病棟行き決定で、既に移動済み。
ICUでの治療中は、浴衣等のアメニティーをレンタルで賄うが、一般から退院まで未定なのでレンタル打ち切りで、入院に必要なものを荷造り。
旅慣れているのと、両親の入退院を経験しているのでサクッと準備完了。
術後9日目
2026年2月24日追記
入院から翌週、入院9日目で退院となりました。
色んな方々のサポートで助かり、生き延びることができました。これも何かの使命なのかなと思ったりします。大切に過ごして欲しいものです。
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